
「なんでできないんだ!?」イライラの理由
なぜ、社員に対して
「できていない」
「やっていない」
「動いていない」
と、イライラしてしまうのか。
それは、社長であるあなた自身が、当たり前にできる、やれる、動ける人だからです。
「そんなの、当たり前のことをやっているだけだよ」
そう思うかもしれません。
その“当たり前”は、実はあなたの才能なのです。
望み、考え、行動し、継続する。
必要なことを見極め、
責任を持ち、前に進める。
そうした力を、あなたは当たり前のように使ってきた。
だからこそ、今の会社があり、今の立場があります。
ただし、才能には落とし穴があります。
自分にとって当たり前にできることほど、
それができない人の内側は見えにくいものです。
「なぜ、それくらい考えないのか」
「なぜ、言われる前に動けないのか」
「なぜ、同じことを何度も言わせるのか」
そうした苛立ちが生まれるのは、あなたが冷たいからでも、器が小さいからでもありません。
ただ、あなたにとっての当たり前が、他の人にとっては当たり前とは限らないのです。
「できない」には相応の背景がある
人にはそれぞれ、事情や背景があります。
ここからは、私の心理カウンセラーとしての目線での話になりますが、
多くの場合、人の心の土台は、幼少期からの親や学校の教育によって知らないうちに形成されています。
幼い頃から家庭の状況が過酷だったり、十分にケアを受けられなかった場合、
生き延びるのに精一杯で、そもそも「行動する、努力する」という余裕も気力も持てないことがあります。
親から否定的な言葉を浴びて育った人は、
「自分なんて」という深い自己否定と諦めが染み込んでいて、「望む・考える」という生命力そのものが枯渇していることもあります。
一見そうは見えずに暮らしていても、実はこうした背景を持つ人たちが、本当にたくさんいらっしゃいます。
当たり前に努力できる人が、わりと言いがちな言葉があります。
「やればできるのに、やらないのは気合いが足りないのだ」
「努力しないで、できないのは自分のせいだ」
これが、「やれる・努力できる」環境と土台が当たり前にあった人の、無自覚による残酷な矢であることを、多くの「やれる人」は知らないままです。
しかしそれも、やむを得ないのです。
あまりにも、その環境と土台と、自分の努力と才能が「当たり前」だったからです。
たとえ厳しい環境で育っていたとしても、そこに呑まれず這い上がれるだけの「魂の強さ」が、どういうわけか自分には備わっていた、ということなのです。

「やれる」を恵みととらえてみる
だからこそ、「やれる人」は、自身に与えられていた「恵み」に改めて気づいてみるといいのです。
こんな話をよく聞きますよね。
当たり前に健康だった人が、大病して生死を彷徨う経験をした時、初めて健康のありがたさを知る。
健康どころか、生きていることそのものが、いかにありがたいことだったかを知る。
同じように、やれてきた人・できてきた人も、当たり前と思っていた「やれるという力」が、いかにありがたいものだったかを知ることができます。
ああ、自分は恵まれていたんだなあ。
自分がやれてきたのは、できてきたのは、決して自分だけの力ではない。
自分に与えられていた「恵み」があったからこそ、これだけ積み上げてこれたんだなあ。
とつくづく思えた時、そこには自然と「ありがたい」という感謝の思いが湧いてきます。
環境の恵み、資質の恵み、そして自分の力。
これを自覚して正当に自己承認することは、決して「驕り」ではありません。
むしろ、それが本物の自己肯定となり、感謝と謙虚へとつながっていきます。

恵まれた者だからこそ
ノブレス・オブリージュという言葉があります。
恵まれた者だからこそ持つべき義務。
元々はヨーロッパ貴族を発端とする概念ですが、
これはそのまま「できる人・やれてきた人」にも当てはまるのではないかと思っています。
できること・やれることを当たり前にしない。
決してそれが当たり前じゃない人たちのことも、広く心に受け入れる。
その上で、恵まれた自分だからこそ果たせるお役を果たしていく。
それが、私の描く「素敵なリーダー」の姿です。
自分に与えられてきた「恵み」を自覚する。
その上で自分がやれてきた「力」を承認する。
そんな自分だからこそ果たせる「使命」を想起する。
これができた時、
「なんでそれぐらいできないのか!」
という怒りは、いつの間にか静かに融けて、
心の内側で、ほんのりとやさしい
「慈悲」へと変わっているかもしれません。





