「鬼滅の刃」は心理の深掘りがうまいなあと思います。
鬼が鬼になったその理由に、過去の傷つき体験や、幼少期の親とのエピソードが絡むところや
その必然性の説明の仕方が、カウンセリング畑の私から見ると、めちゃくちゃ「こっち側っぽい」のです(笑)
鬼のボス(鬼舞辻)が手下を恐怖でコントロールしていくやり方も、非常に理に叶っています。
そういう目で見ると、これは日本人の集合無意識の急所をズバズバ突くなあ!と思いました。
今日は、劇場版を中心にそのあたりを勝手に深掘りして考察したもの。
【ややネタバレ】なので、見ていない方はご注意。
主人公は日本人マインドの典型
集合無意識とは、気づいていないけれどみんなに共通する意識。
地面の底に流れている地下水のようなものだと思ってください。
井戸は1つ1つ別でもその底流は一つ、ということです。
で、その集合無意識には、共通して入っている心理パターンの「類型」というものがあります。
主人公の炭治郎のキャラ設定自体、エニアグラムのタイプでいうとタイプ6。
タイプ6は日本人にいちばん多いと言われており、まさに日本人マインドの典型といえます。
真面目で実直、謙虚で優しくて責任感が強い。
大義のために自分を滅していく忠誠心。
とともに、自分自身に対する無力感、罪悪感も強く、力のある「権威」のような存在を見上げ、依りたい傾向がある。
ざっというとタイプ6とはこんなかんじです。
余談ですが、そういう目で見ると我妻善逸はタイプ4、嘴平伊之助はタイプ8、魘夢はタイプ5、かなあ。
煉獄さんと猗窩座はおそらく共にタイプ3ですが、元々の性質は同じだけれどもその向かっている方向が違うんですね。
その同じ性質を感じるからこそ、猗窩座はある意味煉獄さんに惚れ込むし、執拗に「スカウト」するのでしょう。
ごめん、禰豆子はよくわかりません。強いていえば9ウィング8の可能性ありかな。
集合無意識の「急所」をつく仕掛け
さて、そんな人たちで繰り広げられる、劇場版鬼滅ではこんな類型パターンがチラホラします。
誰もが同じところに刺さり、同じところで揺さぶられ、同じところで涙する。
そういうパターンがあるのです。
家族を背負う長男(または長女)
小さいころから、親や兄弟を守るために、お兄ちゃんお姉ちゃんががんばる。
時には過度に責任を背負って潰れそうになる・・・
これもパターンです。
やってた人、多いと思いますよ。
「お兄ちゃんだから、お姉ちゃんだから」と、自分の気持ちを抑えて我慢し続けている人も多いので、
実はいちばん傷ついているのが長男長女だったりもします。
大切な人を救えなかった罪悪感
家族や大切な人が、なんらか不幸。
それが事実である場合も、自分がそう思い込んでいるだけの場合もありますが、
「救わなくては!幸せにしなくては!」とがんばったのに、できなかった・・・
この挫折感、そして「救えなくてごめん!」という深い罪悪感。
これは日本人というより、おそらく全人類的に集合無意識に刻まれたパターンかもしれません。
身近なところでは、子供が親に持つ罪悪感であり(無意識なので気づいてない人多いけど、ものすごく多いです)
遠いところでは、アトランティスあたりの古代の人類からすでにこれが刻まれていた可能性があります。
その途中にも、世界的歴史的に、戦争だ、侵略だ、飢饉だ、病だ・・・と人類、大変なことは山ほど経験しているので、そのたびに「大切な人を救えなかった」痛みを代々刻んでいてもおかしくありません。
それくらい古い罪悪感だからこそ、現代人にもほぼ全員に生まれた時から入っているんでしょうね。
だからこそ「助けられなかった、ごめん。。。!!」という情動にアクセスして突けば、だいたいの人は心が揺さぶられて泣くのです。
つまり、無意識の急所。
それ自体がパターンなのです。
大切な人を置いていく罪悪感
そして、引き止める家族に背中を向けて自分だけ行ってしまう・・・
そこに「見捨てる罪悪感」がついてきます。
これもパターンであり、やはり一説によるとアトランティスあたりのエピソードが絡む可能性もあるようです。
つまり脱出組が残留組に対して「見捨ててしまった!ゴメン!!!」ていう罪悪感ですね。
無力な自分への自責
そんな「助けられない無力な自分」をとことん責めるのも、パターンです。
その時にキラーワードになるのが「役立たず」。
これも罪悪感の急所をえぐる言葉です。
鬼は、炭治郎に見させる夢の中で、父親の姿を見せてその言葉を浴びせてくる。
泣いて引き止める家族という姿を見せて、罪悪感を掻き立ててくる。
普通の人ならこれで絶対に「堕ちて」しまって、夢からは抜けられないでしょう。
まさに、人の無意識の急所を的確にえぐってくる、さすが下弦の鬼だ!と思いました(笑)
その他に、煉獄さんからもパターンが読み取れます。
父親に認められたい息子
父に喜んでもらえない悲しみと、ここまでやったら父は認めてくれて喜んでくれるのでは・・と希望をかけてどこまでもがんばるマインド。
そんな父自身も、実は自分が嫌いで自分を認められず、自分を責めていたりします。
だからとりわけ息子に対して自分の負を投影して、やたらに辛くあたる、絶対に息子のことを認められない喜べない、というループが続くんですね。
そのカラクリがわからない息子は、いつまでたってもがんばり続けるというループ。
母の期待に応えたい息子
立派な母の言いつけを守り、その母の期待に応えられたかどうか。自分がそのレベルに達したかどうか。
そのOKを母からもらえたら、子供というのは最大の満足を感じるものなのですね。
特に男の子にとっては、この「母の期待に応えたい」は普遍的かもしれませんね。
煉獄さんが推定タイプ3だとすると、「母の期待に答えて立派な自分になる」という思いが強力なモチベーションとなって人生を動かしているはずです。
「強い父」にかなわない自分
そんな見上げるような実力と器を持った煉獄さんに比べて、炭治郎はあまりにも至っていない自分の無力を嘆きます。
「自分があんなふうになれるのだろうか?・・・無理だよ。。。」というかんじ。
憧れと尊敬があるからこそ、自分と比べて絶望的なその差と、自分の無力に泣く。
煉獄さんは父親ではないですが、炭治郎にとっては父親的存在の投影かなと思います。
これもタイプ6的だなあと思います。
全員ではないですが、父親に対してこういう感情を抱いているタイプ6の男性は多いです。
強くて圧倒的な父 > 無力で小さい自分
こういう自己認識です。
だからこそ、そういう方のこの先のテーマは、自分の力を自分で認めて信頼する、自己信頼。
そして「父親超え」なのですね。
泣かせるポイント満載
まあその他にも語り出すとキリがないですが、そういうわけでこの映画は、集合無意識の類型をバシバシ刺激して、多くの人を泣かせるポイントがたくさん仕込まれているのであり
もちろん、泣かせるポイントだけでなく、目醒めのポイント、火を付けるポイントもたくさん仕込まれていると思います。
人を喰う鬼・・・という設定そのものもなかなか意味深いですね。
今の時代にこの映画が、日本人の集合無意識にどんな影響を与えていくのか・・・
それを考えるのも楽しいものです。
ゴメンね、理屈っぽい分析で。
ゴメンね「感動しました~~!!煉獄さあ~~ん!!」とかじゃなくて。(笑)
いや、普通に面白いですよ。
普通に感動すると思います。
映像も音楽もすばらしい。
普通に楽しんでもいいけど、心理マニアな方はそんな「集合無意識のパターン」という目線で見られても面白いのでは、と思います。