これまでの記事で「コードでピアノを弾こう」ということをけっこう言ってきました。
しかし。ものごとにはいろんな側面があります。
今日はこれまで言ってきたことの逆の側面から、あえてこんなことも言ってみます。
どちらも真実。
ものごとの両面です。
コード弾きはけっこうたいへんよ
基本的に、コードで弾けることはすばらしいです。
みんな、できるようになるといいよーー!
と、私も生徒さんにレッスンする時は、そういう趣旨でやってきました。
「コードで弾けるとこんなにすばらしいですよ、楽しいですよ、自由ですよ!」と素敵そうに言っているので、当然、
「そうか!私もそんなふうに弾いてみたい!やってみたい!」と夢と憧れをかきたてられる方も多いかもしれません。
ここで
「そうです!あなたもすぐにコード弾きで素敵な音楽が奏でられます!レッツトライ!」
とかキレイにうたえば、レッスン営業的には最高なのでしょうが・・・・
いや、ゴメン、それは私言えないわ〜。
だって、そんなわけないもの。
はっきり言いますが
「すぐに、簡単に、ちょっとやれば」はムリ!
今日はあえてこれまで言わなかったことを言います。
コード弾きは難しいです。
「楽しく弾ける」にたどりつくための道は、長く険しいのです。
とっても地道な勉強と練習の積み重ねがあって、やっと、そうなれるのです。
多くのお教室やスクールは「あなたもかんたんに楽しく!」とか言うのがお約束なので誰もこんなことは言いませんが、現実はもっとシビアです。
今日は私、ちょっとブラックよ〜。
身もフタもなく言うけど。
けっこうたいへんよ(笑)。
ポップスだからやさしい?
もしかしたら世間では
「クラシックは難しそうだけど、ポップスだったらやさしそう♡」
なんて思われてるフシがあるかもしれませんね。
でも私から見たら、とっつきやすさでいったら全然逆。
ポピュラーやジャズのピアノは、クラシックピアノに比べたら、かなりわかりにくい、とっつきにくい、やりにくいと言ってもいいでしょう。
ちょっとクラシックをやっていたからといって、チャッチャとできるようになるものではありません。
ナメない方がいいでしょう。
クラシックは、とりあえず書いてある音符通りに鍵盤を押すことを考えとけばとりあえず形になるところがあります。
乱暴な言い方ですけど。
なんとなく「曲を弾いてる気」にはなれる。
もちろん「とりあえず」ですけどね。
でも、コード弾きは、なかなか「とりあえず」になりません。
なぜなら、何を弾けばいいかの指示は最初から全くないからです。
音符の指示に従うのではなくて、コード記号というアルファベットを見ただけで
何の音符を弾いたらいいのか、どの場所でどの形で鍵盤を押したらいいのか、などを全部自分で判断して決めるのが前提だからです。
だから、ホントにコードのなんたるかをわかっている必要があるのです。
わかるだけに留まらず、曲のテンポに合わせてパッパと手が動くまで使いこなせている必要があります。
さらに、コードだけではなく、色々なリズムパターンやノリというものも知っていなければなりません。
そういう脳と手の反応の速さ、リズムを感じる身体、そしてコードを聞き分ける耳を鍛えるために、かなり地道かつ膨大な練習が必要になるわけです。
ですから、それができないうちに、いくら「この曲がやりたい、あんなふうに弾きたい」といっても
残念ながら何もできない・・・orz
「好きなように、自由に」なんてぇーのはもう、その先の先。
だから、やっぱり基礎練習
ですからやはり、皆さんが嫌いな「地道な基礎練習」というのを避けては通れない、ということになります。
参考記事:基礎練習は本当につまらないのか
だからほんとはね、2年ぐらいは基礎練習に費やして当たり前なのです。
だって、私なんか何年やってると思います?
40年超ですよ!?
40年かかってコレですから。
プロになるまでだって20年ですから。
そんな、初心者が数ヶ月程度でプロみたいに「好きなように、自由にカッコよく」なんてできるわけないじゃんね !?
もちろん、クラシックであってもそうですし、他のどんなジャンルや楽器であっても、そのくらいのタイムスパンは当たり前といっていいでしょう。
ほんとはね。
だけど、みんな早く結果がほしい
だけど、ピアノに憧れる人はみんな「あんなふうになれたら♡」という素敵な夢を持っていらっしゃいます。
それは入り口として当然でしょう。
だからこそ「早く私もあんなふうに弾きたい♡」と思われますね。
特に、大人になって楽器をやろうとする方は、早く結果がほしいと思いがち。
早く楽しく、思い通りに弾きたい!・・・という欲求が強い場合が多いですね。
だけど、実際始めてみると、そんな姿とは似ても似つかぬところから始めなければならないわけです。
そうしますとね、実際やってみて、コードの1つ2つもままならない自分の現実に
ガッカリしたり
もどかしくなったり
自分のできないかげんに嫌気がさしたり
ちっとも進まないと感じたり
しまいに
「私はこんなことがやりたいんじゃなくて、もっとああいう曲を、あんなふうに弾きたいのに!」とか思い始めたりもします。
そうなって初めて、知ることになるでしょう。
「あんなふうに弾ける」ためには
「こんなコト」を
地道に膨大にやらなければならないのか(((( ;゚Д゚)))))) ということを。
そうしますと、
「えー、そんなに大変なの!?」
という驚きと、
「私、そんなのムリ・・・」
という、目の前がクラクラするような、おじけづくような真っ暗感とヘナヘナ感を実感するでしょう。
ふっふ。
現実を知りましたね Ψ(`∀´)Ψ
本当にこの道が始まるのはここからです。
結局、地道以外の道はない
だから、地道にやるしかないのです。
ちゃんとお家で練習してこないと、月数回のレッスンに来てるくらいじゃなんともならんのです。
本気でやる人はここからが本番です。
でも本当に楽しければ、その道のりさえべつに苦ではない。そういう人だっています。
一方で、憧れだけで来た人は、ここで足がすくみ、次第にやる気の炎は静まり、レッスンにも足が遠のく・・・ということになるでしょう。
でもね、それでもいいと私は思っています。
憧れと、その行為そのものが好きかとは、本来全く別。
そしてそれは、実際にやってみないとなかなかわからないものです。
本当にできるようになる人は、地道なプロセスを楽しんでできる人。
それだけホントに音楽が好きで、ピアノが好きで、そして理解することや、コツコツ達成することに喜びを感じる人が、この道をコツコツと歩き、
いつの日か、少しずつ「楽しく、自由に」弾いている瞬間を味わっていくのです。
そこまでではない人は、とりあえず憧れから入って、できるところまでやってみればいいのではないかな。
そして、「あんなふうに」はなれなくとも、今自分ができる範囲で楽しむ、ということをめざせばいいのではないかな。
あきらめても、やめてもいいんだよ
そして、「やっぱムリ!」と投げ出しても、あきらめても、別に自己嫌悪や罪悪感にさいなまれる必要もないのです。
そこまで好きなわけじゃなかった。
そこまでのめり込めるほど、向いてることじゃなかった、てことですから。
そして、また他のものと出会って、本当に好きなことを見つけていけばいいのではないかな。
まあ、ピアノだけではなくて、他の楽器も、あらゆる芸事も、
おそらくスポーツも、あらゆる技能はみな同じでしょう。
そうやって憧れから入るたくさんの人がいるからこそ、初心者のお教室にたくさんの需要があり、入門モデルの楽器がよく売れ、各分野の裾野というのはゆるやかに広がり、そこに市場ができ、経済が回っていくのでしょう。
だから、いいんです。
とはいえ、
今、私個人的には、あえて言いたい。
たいへんだよ。
簡単にはできないよ。
覚悟しいや(^∀^)
2014年10月に書いた記事を加筆修正しました。