
今日は、私の感じる「今とこれから」の空気についてのお話です。
題して未来観想。
と言ってみます。
さて、今、大きな集合意識の中で起こっていること。
大きな全体に呼びかけられているテーマ。
それは
本来の力に目覚め、その力を行使する
ということのように、私は感じます。
夜明けが訪れる今、目覚める「力」
暗くて重くて苦しかったこれまでの「夜の時代」に、着々と夜明けが訪れています。
一人一人の中に、そして社会の中に
まだ目に見えて形にはなっていないけれど、着実に「力」が目覚めつつあります。
私たちの力は、これまで封印されていました。
長きにわたる支配と侵略の歴史の中、多くの民衆は力を削がれて屈服せざるを得ませんでした。
さらには自ら「ちっぽけで取るに足らない、無力な自分」という自己認識を信じるように仕向けられてきたのです。
受け入れられるために、生き延びるために、個を消して、身を小さくして、「そんなものだ」と諦めてきた代々の積み重ねがあります。
その「業」の流れは、現代を生きる私たち一人一人にも流れ込み、家族で、学校で、職場で、同じような支配と屈服のシーソーゲームを続けています。
しかし2025年、そしてこの先、その「力」の封印がどんどん解けてくるでしょう。
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「力」はニュートラル。大切なのは使い方
「力」というと、何か暴力的でネガティブなイメージを持つ方も多いようです。
しかしそうではありません。
「力」とは、本来ニュートラルな性質の、ただのエネルギーです。
ネガティブなイメージがあるとすれば、それはこれまでの時代、あまりにも「力」というものが、残酷なエゴの暴走のために使われてきたからです。
ニュートラルなそれを、どういう動機と意図によって使うのか。
そこに人間の関与による「色」がいくらでもついて、その軌道は破壊の方にも創造の方にも分かれていきます。
だからこそ、自分の「動機・と意図」を問い、常に整えていくことが必須。
人類はこれから、そんな「力」の本来の使い方を、少しずつ取り戻していくのかもしれません。

「力がない」から「力がある」への目覚め
そんな今という時。
私たち一人一人は
「自分には力がない」
という思い込みから
「自分にも力があった」
という自覚へ。
自分が自分の軸で立つ。
立てる。立てた!
立っても大丈夫だった
という実感と手応え。
その力を、喜びのために
使ってみる。出してみる。
その結果を、受け取ってみる。
そんな歩みが始まっていくのではないでしょうか。

精神の成熟が導く、新しい社会のかたち
それは別の言い方をすれば「自立・自律」です。
ただ無自覚に「上」を信じて従って翻弄されていただけの「子供の精神」からの卒業です。
光も陰もある自分を
受容・統合し
自分の重心を持った上で、
相手も同様に光も陰もある存在として
互いに奥行きのある目線で
それぞれの「本当」を聴き、語る。
そこに
新しい調和と創造が生まれる。
それが「精神の成熟」であり
「関係の成熟」であり
それが多くの人たちの間に育っていくなら
それが「社会の成熟」たりうる。
次の新しい地球の文明は、そういう姿をしているはずです。
はるか未来のことかもしれないし
そこへ至るまでには様々な試練もあるでしょう。
しかし
そんな方向へ私たちは行くんだ
という思いで、私は「今」という時を感じています。
皆さんは、いかがでしょうか?





