私が今、学びに行っているのは大学です。
「あれっ、大学院じゃなくて?」
「大学出たのにまた大学?なんでまた?」
と思われることもあると思います。なぜ大学なのか。
最大の目的は資格!
実は、音楽療法は資格がなくてもできるんです。
医師や理学療法士、作業療法士のような国家資格はありません。
しかし一定の水準や信用を確立するために、日本音楽療法学会というところが
「学会認定音楽療法士」という資格を定めています。
将来的に国家資格承認を目指した働きかけがされていて、
今のところ日本ではこれが一番メジャーな音楽療法の資格となっています。
この資格をとるには、特定の大学/短大または専門学校の音楽療法科を卒業の上、
認定試験を受けるか、臨床の現場で何年も働きながらコツコツと学会指定の講習会に参加した後、認定試験を受けるか、のどれかになります。
私は、所要期間や、どんな先生に習うかなど、諸々考えた上で最短・最善と判断し、大学に行く方法を選んだわけです。
単に音楽療法がやりたいということならば、音楽的なスキルに関しては私が既に持っているもので十分であり、
専門知識に関しても勉強しようと思えばする方法は他にもあります。
必ずしも膨大な時間とお金を費やして資格取得しないとできないわけではありません。
また逆に言えば、多くの資格と同様、「資格があれば仕事ができる」というほど甘いものでもありません。
資格というのは、最低限これだけの事は勉強しました、という「勉強済み保証」であって「仕事ができます保証」ではないと私は思っています。
結局は実力 っていうのはどこの世界も同じでしょうね。
それでも、なぜ資格なのか。こっからが重要。
もちろん「基礎的なことをちゃんとやった」ということが大事なのは言うまでもないですが、もう1つ、ある意味、資格というのは看板のようなものだと私は思っています。
多くの人は初めて人に出会う時、まずは経歴という看板を見てその人を知ろうとします。
その時、それなりの経歴を備えていると、まず最低線の信用という第一関門は直ぐにクリアできるものです。
これは意外と大きいです。
ちょっとイヤな言い方かもしれないけど、そういう側面があるのも現実。
というのも実際、「芸大卒」の看板がそのような力を持つことを、私は体験しているから。
最初の段階では、中身はともあれ「芸大です」と言えば「ああー」とか「じゃあ」とか言って、とりあえず次の話が早く進むことが現実としてあるものです。
もちろんその先は実力の問題なので、あくまでも効力は入り口だけですが。
でも入り口だけでも広くなるなら、ね。
だから、この先私が音楽療法に関わるようになって「こんな事をやっています」と標榜した時に、資格の看板があれば「なるほど、じゃあ」と次の一歩を踏み出してくれる人だっているだろうと思うのです。
特に、場が公けになればなるほど、この看板がモノを言うのも事実です。
資格があるからこそ行ける病院、施設、現場というものもあります。
そうすれば、そこにいる人に関わる事ができるでしょう。
そこにいる出会うべき誰かに出会い、私だからこそできる何かがあって、その方のためになることがあるのだったら・・・・
その場に行くことができる「パスポート」として資格のありがたみというのも活きてくるんじゃないだろうか?
・・・そんな風に思うのです。
正直言って今から大学通いはしんどいこともあります。
20年近く音楽で仕事をしてきた人間からすると、今更それは・・・と思うようなことだってあります。
「早く現場に出たら」と言って下さる先輩もいます。
しかし、それとともに、色々な先生方との出会いやご縁、そこから広がる色々な経験は、やはりここへ来たから得られることだと感じることもたくさんあります。
色々あるけど、資格という目標と、その先のヴィジョンがあるから。
その予感、直感を信じてみたいから。
時々くじけそうになっても、2年間がんばる。
後から「あの時大学行ったのはいい経験だったねー」
「やっぱり資格とっといてよかったねー」と言えるような未来にしていきたいものです。