お母さんの「幸せレベル」
心の中であなたの「お母さん」を
思い出してみてください。
心の中に浮かんできたお母さん、
楽しそうですか?
幸せそうですか?
たいへんそうですか?
つらそうですか?
もし今のあなたが
どうして人生こんなにつらいのか
どうしていつまでも幸せがこないのか
って感じてるとしたら
それは
お母さんのことを
人生つらい人
幸せじゃない人
かわいそうな人
と思っているからかもしれない。
お母さんのことを
無意識にそんなふうに思っている人は
お母さんの「幸せレベル」を
けっして超えないように
生きることになります。
たとえば「まるまる幸せ」が
100だとして
お母さんの「幸せレベル」が
40くらい
って感じてるとしたら
そんなあなたは
自分の「幸せレベル」を
40以下で押さえて生きます。
お母さんが20なんだったら
自分は20以下で設定です。
だからちっとも幸せじゃない。
当たり前ですね。
脳内のお母さんの
「幸せレベル」設定が変わらなければ
あなたの「幸せレベル」も
永久に変わらない
ということになります。
「幸せになれない」
と言ってるんじゃないんですよ。
自分で「幸せにならない」設定に
してるということ。
だって
あのかわいそうなお母さんより
自分が幸せになったら
おかあさんがかわいそうだから。
傷つくから。
悪いから。
そういう理屈です。
もちろん無意識の領域でね。
参考記事
お父さんの「パワーレベル」
同じように「お父さん」もね。
お父さん、思い浮かべてみて
たのもしいですか?
大きい存在ですか?
パワーありますか?
尊敬できますか?
もし今のあなたが
どうして全力を出せないのか
仕事でうまくいかないのか
社会で堂々とポジション確立できないのか
って感じてるとしたら
それは
お父さんのことを
弱い人
たよりない人
かわいそうな人
あとはもう一つ
強すぎる人
恐ろしい人
圧倒的すぎる人
と思っているからかもしれない。
対極にあるようだけど
どちらもつまり
「自分はお父さんを超えられない」
という呪いになっている
ということです。
前者は、
かわいそうだから
悪いから
傷つくから
自分が超えるわけにはいかない
というパターン。
つまりお父さんの「パワーレベル」を
低く見積もってるから
自分はそれ以下の「パワーレベル」で
生きることにしてしまっている。
無意識に「父を超えない」ために
自分が全力を出すことをセーブする
ってことね。
後者は、子供のころから
お父さんが圧倒的に恐ろしい存在で
精神的につぶされたまま
無力感が抜けてない。
大人になってもずっとその無力感が
継続している可能性があります。
だからそもそも
「自分には力がない」と
思い込んでいる。
だから力を出せない。
オヤジを超えられるなんて
思ったこともなければ
思うだけでも恐ろしい。
私は、お父さんに関しては
そんな
「かわいそう系」と「怖すぎ系」
2種類あるのかなと
思っています。
参考記事
親を超えなかったら人類は衰退だ
「親を超えちゃいけない」
っていうビリーフが強いのは
日本人特有なのかなあ・・・
わからないけど
無意識にそう思っている人は多いです。
何か「ご法度」や「裏切り」
のように感じてしまうんだね。
それで
「傷つける」とか「見捨てる」とか
感じてしまうんだね。
だからこそ
「お母さんの幸せレベル」
を超えないように
縮小して生きる。
「お父さんのパワーレベル」
を超えないように
縮小して生きる。
親より小さく
親より小さく・・・・
親より少なく
親より少なく・・・・
縮小、縮小・・・・
なーーんて
みんなが代々やってたら
人類どうなると思う?
衰退します!!
よね???(笑)
実際、今のところ
人類がこれだけ発展してきたのは
確実に親を超えて
力を出して
新しいもの生み出して
新しい道拓いてきた人たちが
いるからだよね?
そのことを思い出してほしい。
親を超えるのは健全なことだ
悩んでいる、生きづらい
という皆さんには
実は根底に共通してこの
「自立と親超え」のテーマがあります。
多くの場合
「自立と親超え」のプロセスが
滞っているんです。
だから
カウンセラーとしての私がやることは
「自立と親超え」のサポート
だともいえます。
これがスムースにいけば
そんなに人生
難しいもんじゃありません。
「親を超える」というのは
生物として正しいことなんですよ。
「より幸せになりたい」と
望んだからこそ
こんなに世の中は
発展してきたんじゃないでしょうか。
(もちろん良い意味での発展ばかりではないし、「それは本当に発展なのか?」という側面もあるけれど、それはまた別の機会に)
親の元に
小さな子どもとして育って
力のある大人の親 >
力のない子どもの自分
という関係から
しだいに成長して
力のある大人の親 =
力のついた大人の自分
として、人間同士になって
やがて
力をゆるめて一線を退く親 <
力を発揮する働き盛りの自分
となっていくんですよね。
それが
子が親を超える時。
親世代も、自分の力をゆるめて
子世代に明け渡す時
っていうのが
どこかでくるはずなんです。
子世代をまぶしく見上げて
「あなたも立派になったねえ」
「あなたも幸せそうだねえ」
って言ってうなずく。
それが本来の「世代交代」
じゃないかなって思います。
その時に、親世代が
子世代のやってることを
理解できなくてもいいの。
「私らにはよくわからないけど。」
って言っといてもらえばいいの。
「父さん母さんには
わからないだろうけど
大丈夫、幸せだから。
任しといて!」
って言っておけばいいの。
古い世代にわからないってことは
もう次の時代が回ってるってこと。
健全です。
そうやって人類は
脈々と文化を築いてきたのだから。
だから
セーブしない。
縮小しない。
堂々と親を越えよう!
親より幸せになろう!
親より力を持とう!
全力出そう!
それが本当の
「親孝行」
っていうもんじゃないですか?
参考記事