ポッドキャスト音声番組「透明になってゆけ」
新しい時代を軽やかに生きるために
頭と心がちょっとクリアになる
今日のお話。
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どんな自分にも「いていい」と言おう
こんにちは。大塚あやこです。
今日お届けするのは
どんな自分にも「いていい」と言おう
というお話です。
「こんな自分はダメ」が悩みやストレスの元
「こんな自分はいちゃダメだ!」
そんな風に思っている人ってとても多いです。
「こんな自分はダメ!」「これじゃダメ!」実際に言葉にはしなくても、心の中では何度も何度もつぶやいている。そんな私も昔はそうでした。
でも、これこそがいろんな悩みやストレスの元。
自信がない、人のことが気になる、私なんて。。。と自分を責める。苦しいことすべての元凶はここから来ていると言ってもいいぐらい、実はこれ、大きな問題なんです。
私たちみんなが本当に求めていることは
安心できて、穏やかで、平和な心で生きることなんじゃないか。
そこからむしろ離れて行っているのが「こんな自分はあっちゃダメだ」なんです。
だから、これを解決するカギは「どんな自分もいていいんだよ」と言うこと。
自分に対して「ダメだ」と言うこと。
そもそも、どうしてそんな風に否定してしまうかと言うと、自分を「OK」と「ダメ」の2つに分けてしまうからです。
こういう自分はあって良い、いて良い、あるべきっていうOKゾーンの私と、こんな私じゃダメ、あっちゃダメっていうダメゾーンの私。自分の中で自分を2つに分けてしまっているだけじゃなく、このダメゾーンに入った自分の方を撲滅しようとしちゃうんです。
そうやって、「OKゾーン」100%の人になろうとするのが苦しみの元。
だけど、そんな完璧な人なんていませんよね。
光があれば影がある。
優しい人であろうとすればするほど、そうじゃない自分のことが嫌いになる。
役に立つ人になろうとすればするほど、怠けてる人はダメになる。
良いと悪いを分けてしまう、これが苦しみの元なんです。
たとえばこんな風に考えてみてください。
24色入りのクレヨンをイメージしてみましょう。
黒や白やグレーもあれば、赤や青、緑や黄色、その間の中間の色、いろんな色があります。
全部揃っていると、カラフルで綺麗なクレヨンのセット。
私たちの中身もそういうものなんです。
いろんな可能性やいろんな要素がふんだんに詰まった、とっても豊かで色鮮やかな存在。
そんなふうにまずは思ってみてください。そんな素敵なクレヨンに対して、すべての色に対して、私たちは「思考」というものでこの色はOK、この色はダメ、と分けてしまいます。
たとえばピンクとかオレンジとか、暖色はOKだけど、茶色とかグレーは暗いからダメな色。OKな色は使ってもいいけれど、ダメな色は使っちゃダメどころか、クレヨンセットにあるべきじゃない。だから箱から出そうとしてみたり、絶対にピンクとオレンジしか使わない!と決めてしまったり。
せっかく24色もあるのに、です。
24色どころか、36色とか、もっと豪華なセットもありますよね。
それだけの豪華で豊かな色が使えるのに、なぜか私たちは変な基準で取捨選択して、せっかくたくさんある色の中からほんの少ししか選択しない。
これが、私たちが自分の中の多様性を認めていないという状態です。
「OK」と「ダメ」両方あっていい
「これであるべきだ」という色の本数が少なければ少ないほど、逆に「これじゃダメ」という色は多くなる。これって凄く貧しいこと。すべての色があるから綺麗で豊かなんです。そしてどの色にも意味がありますよね。その色があるから深みが出て、いろんな影をつけられて、立体的になって、世界のいろんな表情を表現できたりするんです。
だから、本当は存在しちゃいけない色なんて何もない。
私たちもそうです。
強い私もいれば、弱い私もいる。当たり前のことなんです。できる私もいればできない私もいます。優しい時もあれば、意地悪な時もあります。
それっていけないことでしょうか?
「そういうことってあるよね」
この「あるよね」と認めることが自分を受け入れるっていうことです。
「あらゆる色があるよね」
それをいつどうやって使うかは、その時の判断だからいいんです。必要だったら使う、出てきたら生かす、そんな感じで使えばいいんです。クレヨンセットから色を取り除こうとするのは、自分の可能性をつぶしてしまっているのと同じことなんです。
もちろん好きな色と嫌いな色ってありますよね。
嫌いな色があってもいいんです。嫌いだからって箱から出さなくていいんです。たまには出番があるかもしれませんよね。だから、クレヨンセットに入れておきましょうよ。
そこにいて良い、存在して良いとはそういうことです。
自分の中の多彩で多様で違う性質、あって当たり前です。
「こんな私もいるのに、こういう私もいる。矛盾してますよね?私って矛盾がいっぱいなんです」っていう方、よくいます。
「矛盾」じゃなくて「両方あって良い」にしませんか?なぜか、私たちの思考はAとBがあったらどちらかじゃないといけない、と思っちゃうんですよね。
どうして、両方あっちゃいけないんだろう
どうして、たくさんあっちゃいけないんだろう
どうして、1つじゃなきゃいけないんだろう
どうして、片一方じゃなきゃいけないんだろう
これが今まで無自覚にしてきた「思考」というものの、なんだか変な論理だったんです。でも、冷静になってみると別にどっちかじゃなきゃいけないこともないし、どれか1つにしなきゃいけないこともない。36色のクレヨンは、36色あって良かったんです。そうやって考えてみると、とっても楽になるはずです。
すべての自分を受け入れたって悪いほうに変わるわけじゃない
こんな自分が出てきちゃったけど、うん、いるよね。
こんな風に思う私もいた・・・いるよね。
これができない私もいた・・・いていいよね。
全部「いて良いよ」で大丈夫です。
そんなこと言ったらダメになっちゃう!。。。ダメになりません。
どんな私を良いよって言っても、ダメにもならないし、何かが壊れたりもしない。
それを認めたからといって、何か悪いほうに変わることもないんです。
良いよって言えば言うほど自分がどんどん楽になって、心がやわらかくほどけて軽くなります。むしろ、心が広がるっていうことに気づいていくでしょう。
これが自分を受け入れるということ。
「ダイバーシティ」とか「多様性を認めましょう」とか綺麗な標語を最近よく耳にしますよね。じゃあ、自分の中の多様性は認めているだろうか。こんな自分もあんな自分も、黒や茶色い白い私も、全部あっていいよって認めているでしょうか。
自分の中の多様性を認めることができないのに、社会の中の多様性を認めることは本当の意味ではできない。そう思いませんか?
外側の多様性を認めようと言うのであればまずは私の中の多様性をちゃんと認めてみよう。
こんな私も、あんな私も、ここに存在していいことにして、居場所を与えてあげてください。
それが、本当の意味で自分を受容して、穏やかで平和な心で生きる、ということです
どんな自分もそこに存在していい、今日はそんなお話でした。
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