
時が来たので、語ってみたい
2026年、明けてもうすぐ一ヶ月。
このタイミングで、私自身の仕事の前提について、一度きちんと書き残しておこうと思いました。
私が心理カウンセラーとしてビリーフリセット®︎を提唱し始めて、12年。
このメソッドとセッションスキルを皆さまにお役に立ててほしくて、一生懸命やってきました。
おかげさまで「ビリーフリセットのあやさん」とか、「人生が変わった」と言ってくださる方も増えました。
けれど私の中には、ずっと消えない静かな葛藤がありました。
それは、「私が本当にやりたいことは、悩みを解決することなのだろうか?」という問いです。
ビリーフリセットは、悩みの根本原因を見抜いて外す、非常にストレートな技法です。
確かに、多くの悩みにはよく効きます。
それでも私は、何年かに一度の周期で、「お悩み解決はやめたい」「カウンセラーと名乗るのをやめたい」と、足掻くような気持ちに駆られることがありました。
それは一体何なのか?
私は一体何をやりたいのか?
実は、自分の中ではかなりはっきりわかっていたのです。
しかし、それを伝えようとすることは、私にとっては困難を極めること。
私が本当に大切にしていること、本当のところ目指しているもの。
それを伝えたとて、伝わる人はいないだろう。誰もリアリティは持たないだろう。
ビリーフリセットを広く皆さまに伝えたい!と思えば思うほど、
「本当のことを言っても伝わらないから、皆さんに伝わるような切り口や、言い方を工夫しなくてはいけない。」と思うようになりました。
難しいことは言わず、わかりやすく、シンプルに、親しみやすく、皆さんの日常に即して、お悩みに寄り添って、実感が持てるように、皆さんが納得できるように、社会に役立てるように・・・・
そんなことを最優先に考えるようになりました。
そうしたらだんだんと、語るべきことが見えなくなっていきました。
そんな葛藤の中で、ずいぶん長い間、静かに時を過ごしていた感覚があります。
もちろんそれはそれとして、目の前のことには一生懸命向かいつつ。
しかし2026年明けて今。
もうその状態に、自分で限界がきました。
もういい。時が来た。
私は自分の「本当」を表に出してみたい。
今までやっていたことを覆したり、投げ出したりしたいわけではないのです。
それはそのまま、やっていけることです。
ただ、私が何のために、どういう立ち位置で、どこを目指して、この仕事をしているのか。
それをまずはここではっきりさせてみたいのです。

悩みとは「見ている世界」である
人はなぜ悩み、苦しむのか?
これはかつて生きづらい子供からそのまま大人になった私にとっては、人生かけた重要な問いでした。
心理の勉強をして、またカウンセラーとして実際に多くの方のお話を聞き、潜在意識の探求に同伴することによって、少しずつ自分の中で答えが見つかっていきました。
それをあえて一言にまとめるならば
苦しみを生み出す思考の中で生きて、ものを見ているから。
だから人は苦しむのだ、ということです。
つまり、悩み・苦しみとは「その人の見ている世界」であり、その見え方というのは「その人が構築した思考」によって立ち現れる、ということなのです。
自分の人生、自分の現実、自分の日常、自分の周りの人・・・
そう思っている私たちは、実は「自分の思考」という強力なフィルターを介してものを見ています。
(このフィルターを私は「ビリーフ」と呼んでいます)
しかし、その見え方が「フィルター」であるとは思わず、「これが現実!」と信じています。
一つ例を挙げておきましょう。
たとえばあなたが「私は人に攻撃される」というフィルターを持っていたとすると、世界が敵に満ちているように見えます。
だから人に容易に心を開かず、常に警戒が当たり前になります。
警戒しているから、ちょっとした人の言動にも「言われた」「された」と防衛的になります。
その姿勢や表情は敵対的な雰囲気を生み、人はいつしか敬遠したり煙たがったり、恐怖心からぶっきらぼうな言い方をしてきたりするかもしれません。
そうするとあなたは「ほらやっぱりこの人も敵だ!私は攻撃されている」と確信を深めていくのです。
あなたにとっての世界は、「敵がいっぱいで、自分はいつも攻撃される世界」。
本当は平和とつながりを求めているかもしれないのに、思考のフィルターによって自ら真逆の現実を作ってしまうということです。

このように、自分のフィルターで見た見え方を前提にして、感情が湧き、思考が走り、行動が生まれ、関係が構築され、状況が現れ、そしていつしか「悩んでいます」「苦しいです」という地点に立っているのが私たちの日常です。
しかしながら私たちは、自分の内側で起きているこの構造に驚くほど無自覚です。
そしてこの無自覚こそが、悩み・苦しみの最大の原因であった・・・
それが、私が何年もかけて、自分自身と人様の心の探究を重ねる中で見えてきた構造です。
であるならば、人がその悩み・苦しみから脱ける道とは、それを生み出している構造を明らかに見抜き、自覚して、「見ている世界を作っている思考」のレベルから刷新していくこと。
私が扱っていたのはそのことです。
だから私の仕事は、「どうしたらいいですか?」というお悩みに対して、「こうすればいいですよ」という解決方法を提示することではありません。
その人が、どのように世界を見ているのか。どんな前提で現実を作っているのか。そこを見つけて、言葉にしてお伝えすることです。
それはまるで、巨大な迷路の中で彷徨っている人を上から俯瞰して、「あなた今ここにいるよ〜」とお伝えし、
さらに一緒にその俯瞰目線までお連れして、彷徨っていた自分自身を眺めていただくこと。
そうすると必然的に「あー!あんなところで頭ぶつけてたのか!」と気づく訳です。
その時点でもう、その人は悩みの次元から抜けている。
立っている視座と足場が変わっているということです。
この、認識と、視座と、足場が変わること。
その視座ゆえに、自分が囚われていた思考の迷路から離れることができる。
それをビリーフリセットというのです。

二元思考という人類の限界
私がここまで「見ている世界」や「視座」にこだわるのには、もう一つ理由があります。
歴史や現代社会を眺めると、人間は繰り返し、争いと破壊を生み出してきた存在でもあります。
私は子供の頃から、そのような人間存在に対して、何とも言えない幻滅と暗鬱な気持ちを深いところで抱えていました。
なぜ人は苦しむのか?
それは、個人的なお悩みの話だけではなく、実は人類全体の集合意識的な課題でもあることが、長年の経験から見えてきたのです。
私がずっと見てきた個人の苦しみは、人類が繰り返してきた分断や争いの構造と、同じ根を持っているように感じられます。
それは、二元思考。
黒か、白か
善か、悪か
右か、左か
というように、あらゆるものを二極に分断して、さらに「どちらか」を迫り、そうでないものを攻撃したり排除しようとする思考です。
これが、私たちの心の内側で起きる時、それが「自己否定」となります。
こういう自分なら良いけど、こういう自分はダメ。
そんな「ダメな自分」を「良い自分」が排除しようと戦い始める。
多くの人がそれによって自らを責めて消耗し、さらなる苦しみを作り出してしまいます。
その自分の内側の戦いが、外側の他人に投影されて「嫌な他人」という姿になり、それと戦い続けることになるのです。
これが、個人というミクロで起きている戦い。
そして地球レベルのマクロで起きている戦いが、戦争や自然破壊ということになります。
この地球環境も、このままいくとどうなるのか?いつまで続くのか?
それが切実に問われているのが現代でもあります。
私は政治家でも活動家でもないので、外なる社会構造を変えようとすることはありません。
ただ、
自分の内側で戦いを終わらせること。
二元的に自分を裁く思考から脱出すること。
そこからしか、本当の平和と安らぎは始まらない。
そう信じてこの仕事を続けています。
心を丁寧に見つめ、紐解き、思考の迷路から出て、自分の足場を変えていく。
自分自身の足場が変わった人の周りで、自然と関わる人や世界が変わっていく。
その連なりが広がってゆく先の世界はいかに?
そんな未来を私は見たいし、選びたい。
ただそれだけなのです。

役に立たない話を、あえてしたい
そんなことを胸の奥に置きながら、 改めて、私がこだわってきたことを言葉にしてみると、
「ものの見方・視点・視座」と、その前提となっている「思考」というものの構造と性質。
そこの次元を変えていきましょう!
ということだったと、自分でも整理がついてきました。
しかし、世の中に
「視点を変えたい!」
「思考の構造を知りたい!」
「見ている世界を問い直したい!」
なんて直接的に望んでいる人は滅多にいないでしょう、笑
やはり、ご自身の仕事や家庭や人間関係、しんどい感情や状況を何とかして楽になりたい。
それが正直な人の気持ちというものです。
そんな皆さんに精一杯応えようとして、お悩み共感から入るわかりやすい言葉を紡いでいた自分の努力も、決して無駄ではないのでしょう。
しかし、それをわかった上で、
あえてお悩みのレベルを超えたところを見たい人や、
思考の構造から一段外に出たところに広がる視界を、実際に体験してみたい人、
自分の思考と意識の次元を変えることが、巡り巡って新しい世界創造につながっていくことを予感する人、
そんな皆さまに向けて、直接的にそこを語る言葉も綴ってみたいと思うようになりました。
いつもじゃなくてもいい。
時々でもいいのです。
「それって何の役に立つの?」
「それをすると何が得られるの?」
正直、べつにありません。
役にたつ、得られる・・・そう思って生きている世界そのものが、実は一つの見方に過ぎなかったのだと気づいてしまうような、そんな「アハ!体験」。
思考の外へ出てみた時に見える、全き新鮮な世界。
そんな世界を、私は皆さんと一緒に見たいのです。
今すでに、この感覚に共鳴しあえる方たちがいるのなら
さらにこの先、この感覚で共に進める方達と出会えるなら
ぜひ一緒に歩いていきたい。
そんなふうに思う今。
立春まで、あと少しです。





