
前回、ビリーフリセットとは「考え方を変える」ことではなく、考え方が動いている土台=OSそのものを問い直すことだ、というお話をしました。
前回の記事
今回は、もう少し踏み込んで考えてみたいと思います。
そもそも、私たちの中で動いているこの「OS」は、いつ、誰が、どうやって作ったのか。
子どもの頃の生存戦略
私たちのOSの大部分は、実は子どもの頃に作られています。
幼い私たちにとって、世界とはまず「家庭」でした。
お父さん、お母さん、あるいはそれに代わる大人たち。 その人たちとの関わりの中で、小さな私たちは必死に学んでいました。
どうしたら怒られないか。
どうしたら愛してもらえるか。
どうしたら、ここにいていいと思えるか。
「こうすれば大丈夫」
「こうしなければ生きていけない」
そういう切実な答えを、幼い自分なりに見つけ出して、ルール化していった。
たとえば。
「頑張らなければ認めてもらえない」と学んだ子どもは、頑張ることをOSに組み込みます。
「感情を出したら迷惑をかける」と学んだ子どもは、感情を抑えることをOSに組み込みます。
「本当の自分を見せたら攻撃される」と学んだ子どもは、他人を警戒することをOSに組み込みます。
それは当時の自分にとって、まさにサバイバルのためのプログラムだったのです。

そのOSは、あなたを守ってきた
ここで大切なことをお伝えしたいのですが、そのOSは「間違い」ではありません。
当時の環境の中で、あの小さな自分が精一杯考えて、感じ取って、「これで行くしかない」と決めたもの。
それによって実際に、あなたはここまで生き延びてきた。
だから、そのOSを作った自分を責める必要は一切ないのです。
むしろ、よくぞそうやって自分を守ってきたね、と言ってあげていいくらいです。
ただ。
問題は、その「子どもの頃の生存戦略」が、大人になった今もなお、気づかずにずっと、あなたの中で現役で動き続けている、ということなのです。

大人になっても稼働しているOS
もうとっくに、あの家庭からは出ている。 もうとっくに、あの小さな子どもではない。
状況は完全に変わっているのに、OSは更新されていない。
「頑張らなければ認めてもらえない」のOSで動いている人は、大人になってもひたすら頑張り続けます。
十分な成果を出しても「まだ足りない」と感じる。休むことに罪悪感を覚える。
「感情を出してはいけない」のOSで動いている人は、何を感じているのか自分でもわからなくなっていたりする。
表面上はうまくやっているのに、なぜか生きている実感が薄い。
「本当の自分を見せたら攻撃される」のOSで動いている人は、人との間に見えない壁を作り、深い関係に踏み込めない。
表面上は社交的でも、内心はいつもどこか警戒している。
どれだけ「考え方を変えよう」としても、このOSが動いている限り、結局は同じパターンに引き戻されます。
前回の記事で書いた、「アプリを替えてもOSが古ければ限界がある」とは、まさにこのことなのです。

なぜ「今」、OSの見直しが必要なのか
ここまで読んで、「そうかもしれないけど、今までそれでやってこれたじゃないか」と思う方もいるかもしれません。
実際、古いOSでも「それなりに」動けてきた時代がありました。
決められたレールの上を、言われた通りに、頑張って走っていれば、それなりの結果がついてきた時代。
効率よく、ミスなく、競争に勝つ。
そういうゲームの中では、「頑張るOS」も「感情を抑えるOS」も、それなりに機能していたのです。
「人を警戒するOS」によって、孤高のヒットマンのように成果を出してきた方もいるかもしれません。
でも今、そのゲーム自体が変わりつつあります。
正解がわからない問題が増えている。
効率だけでは解決できないことが増えている。
「勝つ」ことよりも「共に生きる」ことが問われる場面が増えている。
古いOSで精緻に磨き上げてきた戦い方が、通用しない場面が、じわじわと増えているのです。
頑張っているのに満たされない。
成果は出ているのに、どこか空虚。
人がついてこない、
あるいは、人が離れていく。
自分自身が「もうこのやり方は限界だ」と、どこかで感じている。
もしそういう感覚があるならば、それは弱さではありません。
むしろ、あなたのOSが「もうアップデートの時期だよ」と教えてくれているサインなのです。

「本当の私ではなかった」その先の扉へ
ビリーフリセットの過程で起きることの中で、最も大きな転換点があります。
それは、
「このOSは本当の私ではなかった」
と気づく瞬間です。
ずっと「自分」だと思っていたもの。 自分の性格、自分の考え方、自分のやり方だと思い込んでいたもの。
それが実は、幼い頃に生き延びるために作り上げたプログラムだった。
自分そのものではなく、自分が身につけた装備だった。
この気づきは、時に静かな衝撃をもたらします。
じゃあ、このプログラムを外した「本当の私」とは何なのか。
装備を脱いだ素の自分とは、いったい誰なのか。
その問いが立ち上がったとき、ビリーフリセットは単なる「問題解決」の次元を超えて、もっと深い探求の扉を開くことになります。
次の記事では、その扉の先にあるものについてお話しします。
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