
前回までの2回で、こんなお話をしてきました。
ビリーフリセットとは、考え方(アプリ)を変えることではなく、その土台にあるOS自体を問い直すこと。
そしてそのOSは、幼い頃に「こうしなければ生きていけない」という切実な理由で作られた、いわば生存のためのプログラムだった、ということ。
前回の記事
今回は、その先のお話です。
ここからが、私が本当にお伝えしたいことの核心になります。
「OSをアップデートする」の先にあるもの
1回目と2回目では、「OSをアップデートしよう」「入れ替えよう」という言い方をしてきました。
でも正直に言うと、その言い方自体が、まだ途中なのです。
「古いOSを、より良い新しいOSに替える」
これは確かに大事なプロセスです。でも、この発想のままだと、ある枠の中から出られない。
どういうことか。
「より良いOSに替えよう」というのは、結局のところ、OSの中身を改善しようという話ですよね。
バージョン1をバージョン2に。
バージョン2をバージョン3に。
より高性能な、より良いプログラムを求めていく。
でもそれは、どこまでいっても「プログラムの中の話」なのです。
本当に大きな転換が起きるのは、もう一段深いところです。
OSが自分なのではなかった。
この気づきです。

自我というOS
ここまでOS、OSと言ってきたものを、心理学の言葉で言い換えてみましょう。
それは「自我」です。
私たちが「自分」だと思っているもの。自分の性格、自分の価値観、自分の考え方、自分の正しさ。
「私はこういう人間だ」という自己イメージ。
これらはすべて、自我が構築したプログラムです。
幼い頃から今日に至るまで、経験を重ねる中で、自我は精密にプログラムを書き続けてきました。
「こうすればうまくいく」
「こうしなければ危ない」
「これが正しい」
「あれは間違い」と。
そのプログラムがあまりに精密に動いているので、私たちはそれを「自分自身」だと思い込んでいるのです。
OSと自分を、同一視してしまっている。
ビリーフリセットの深い段階で起きることは、この同一視が外れることです。
自我が作り上げたプログラムを「見る」ことができるようになる。
見ることができるということは、見ているその対象は自分そのものではない、ということです。
あなたがスマホの画面を見ている時、あなたはスマホではないですよね。
見ているあなたと、見られているスマホは、別のものです。
同じように、自我のプログラムを「見ている」存在がいる。
その「見ている側」が、プログラムの奥にいる本来のあなたです。

本質的な意味でのスピリチュアリティ
ここで「スピリチュアル」という言葉について、少しお話しさせてください。
この言葉には、人によってさまざまなイメージがあると思います。
占い、パワースポット、引き寄せの法則、不思議な力。
そういうキラキラしたイメージを持つ方もいるかもしれません。
私がここでお伝えしたいのは、そういうものとは少し違います。
スピリチュアリティとは、本質的には「精神性」のことです。
自我のプログラムに自動操縦されるのではなく、自分で自分を深く見つめ、理解し、自我を超えた視座に立つことができる力。
それは、高度な精神性と呼ぶべきものです。
ビリーフリセットが最終的に目指しているのは、実はここなのです。
単に「悩みを解決する」「生きづらさを楽にする」ということだけではない。
もちろんその段階も大事です。でもその先に、もっと広い景色がある。
自我のプログラムを見抜いて、自覚して、初めて自我から自由になれる。
自我から自由になって初めて、もっと大きな視座に立つことができる。
その視座に立ったとき、見えてくるものがあります。

自我を離れて見えるもの
自我の目で世界を見ると、世界は「自分 vs 他者」で構成されています。
どうやって自分を守るか。
どうやって自分の取り分を確保するか。
どうやって自分の価値を証明するか。
つまりこの世界は、どうにかして生き延びなければならない場所。
それが自我のOSが見せる世界です。
でも、自我から離れた目で世界を見ると、まったく違う景色が現れます。
自分と他者は映し合うもの。
いのち、存在。ただそれが尊い。
世界はどうであっても究極、大丈夫であった。
これは理想論や綺麗事ではなくて、自我を超えた視座に立った人が実際に「見える」ようになる世界の姿です。
私はこれまで12年間、たくさんの方のビリーフリセットに立ち会ってきましたが、深いところまで進んだ方は、例外なくこの感覚に触れます。
「ああ、自分はこれでよかったんだ」
「人はそれぞれ、それでよかったんだ」
「ただ、いる。存在することの安心」
さらには
自分の内側と、大きな全体とのつながり。
流れに委ねることの力。
そういう深い理解が、頭ではなく身体の奥からやってくる。
それが、自我のOSを超えたところで起きることです。

霊性の高いリーダーへ
こういう視座を持った人が、自分の持ち場で動き始めたとき、何が起きるでしょうか。
経営者であれば、数字だけでなく、人のいのちと尊厳を大切にした経営ができるようになる。
人が生き生きと活躍する場を、生み出していくことができる。
会社員であれば、評価や保身から自由になって、自分が取り組む仕事に心からの意味を見出せるようになる。
親であれば、自分の不安や恐れからではなく、子どものいのちそのものを信頼した関わりができるようになる。
さらには、目先の損得を超えて、社会全体のための大きな志に全力を尽くしていくことができる。
人生に届く「使命」への呼びかけに、応えていくことができる。
肩書きや立場に関係なく、自分がいる場所で、その意識から動く人。
私はそういう人を、霊性の高いリーダーと呼びたいのです。
霊性とは、何か特別な能力のことではありません。
自我を超えた精神性を持ち、いのちの本質からものを見ることができる在り方のこと。
そしてリーダーとは、人の上に立つ人のことだけを言うのではありません。
自分自身の存在に根差し、自らの意識を磨いて世界に働きかけていく人は、みなリーダーです。

弥栄(いやさか)の世界を創る
自我のOSから離れた目で見たとき、社会やビジネスの在り方も変わります。
奪い合いではなく、循環。
支配ではなく、共生。
競争ではなく、すべてのいのちを生かし合う繁栄。
古い日本の言葉に「弥栄(いやさか)」というものがあります。
すべてが、ますます繁栄する。
しかもそれは、誰かが誰かを蹴落として勝ち取る繁栄ではなく、すべてのもの、あらゆる生命が共に栄えていく繁栄です。
私は、この「弥栄」の世界が創られていく世界線を意図しています。
始まりは、一人一人の意識から。
そのためにまず必要なのは、私たちが自分の中の自我のOSに気づき、そこから自由になること。
自分本来の、もっと大きな視座に立ち戻ること。
それは壮大な話のように聞こえるかもしれませんが、始まりはいつも、たった一人の人間が自分自身に向き合うところからです。
自分のOSを見つめる。
なぜそのOSが作られたのかを辿る。
そのOSは自分そのものではなかったと気づく。
自我を超えた視座に立つ。
一人の意識の変容は、静かに、確実に、波紋のように広がっていくのです。
その一歩一歩が、集合意識という大海に注ぐ一滴一滴となり、世界線を変えていくでしょう。
その道を共に歩みたい方のために、私は今「ビリーフリセットNeoView」という場を準備しています。
ビリーフリセットという名称で私が12年やってきたことを、2026年の今、新たな景色の中に解き放ってみたい。
そんな私の思いがあります。
詳細は近日中にお届けしますので、どうぞ楽しみにお待ちください。
自我を超えて、本来の自分に立ち還り、ここから新しい世界を創っていく。
弥栄の世界へ。
共に歩みましょう。







