「やりたいことがわからない」
このお悩みは、本当によく聞きます。
でも、やりたいことがわからなければ絶対にいけないのか?
そういうわけでもないんです。
わかりたいなら見つけようとするのもいいけれど、そうでもないなら、それでもいい。
むしろ私が多く見てきたケースでは、
それまでの人生で「やりたくないこと」ばかりをやっていると、やりたいことはわからなくなります。
なぜ、わからなくなるのか
たくさんの「本当は嫌なこと」を我慢して、感じないように感度を落として、やり過ごしてきているから、わからなくなってしまうのです。
だからそういう場合は、やりたくないことをやめないと、やりたいことはわからない。
そういうことなのです。
「やりたいことが見つかったら、やりたくないこともやめられるはず」
と思っている人もいるけれど、それは順番が違うんですね。
とにかく一旦、止まること。
それが大事です。
止まってわかることもある
たとえば
我慢して無理して会社に行っていた人が、
やりたいことはわからないけれど、とにかく会社を辞めて、しばらく身体を休めてゆっくりしていたら、
だんだん「これやりたいかも」って思えるようになってきた。
そんなケースも、わりとあります。
これは、ごく自然なことだと私は思うのです。
なぜなら、心と身体が疲弊したままでは、「やりたい」どころじゃないから。
「やりたい」はエネルギーです。
心身が枯渇していたら、湧いてこないですよね。
やりたいことがわからない人が、よーく自分の内側を感じて
「本当のところ、どうしたいのか?」
って感じていった時、本当にしたいことは・・・・
とにかく休みたい
だったりするんです。
だよねー。
そう、だから、まず休んだらいいの。
ゆっくり寝て、何にも考えないで、ダラダラ過ごして。
アホになって暮らしてみるのも、一つの転機として必要な時もあります。
停止することへの恐れ
とはいえ、しかし。
それが怖かったり、ダメになるような気がしたり、罪悪感が湧いてきたりしがち。
そういう人も多いのではないでしょうか?
私を含め、特に昭和育ちのがんばり系の皆さんは、停止することや何もしないことに恐れを感じる傾向があるように思います。
「空白」が無駄とか虚しいとか、そういう定義、ありがちですよね。
だからつい、スケジュールを埋めてしまったり、「あれもこれもやらなきゃー!」と奔走してしまったり。
確かに、そうやってパワフルに動くからこそできることもあったりはするけれど──
もう今の時代、そろそろ、それだけじゃないよね、ってところに来ているような気がします。
空白から生まれる新しいもの
停止するからこそ、自分の内側に戻り、本来に立ち還ることができる。
空白を作るからこそ、そこに新しいものが生まれてきたりする。
どうやら、そっちが真実です。
停止も、空白も、そこには「ゆるみ」を生じさせますが──
昭和のガンバリズムは、その「ゆるみ」こそをダメ!!ってしちゃってきたんですよね。
たるんでる、怠けてる、非生産的、無駄、意味ない。
みたいなね。
そこが大きな勘違いでした。
その「ゆるみ」こそが、人の生命力を活性化し、本来の流れにシンクロする重要な状態なんです。
本当はね。
自分に許可する
もちろん、日々の生活はやっぱり、いろいろあったり忙しかったりします。
でも、あえて停止する日や空白を作る日──
自分をゆるめて生命力を満たしていく時間が、本当に必要ではないでしょうか。
それを望んでいいし、それをやっていいと、自分に許してあげていいのです。
ちょっと止まって、何も考えず、何もしない日。
ただただ、寝るだけ。
ぼーっと止まっているだけ。
まるでアホでも、ダメ人間みたいでも(笑)
いいじゃないですか。
大丈夫。
そんなことで置いてかれない。
ダメ人間にならないから、大丈夫。
ていうか、ダメ人間ってなんだ?(笑)
その定義は?
そこもビリーフリセットのネタになるポイントね。
信頼することが大事
ゆるみと、停止と、空白の中で
意外な何かが降ってきたり、流れが変わったりすることだってあります。
そこを信頼するのが、いいのじゃないかな
と思います。